2023年12月29日にお笑いタレントの坂田利夫(さかたとしお)さんが死去しました。82歳でした。
この記事では坂田利夫さんの死因や寝たきりだったという噂、結婚相手や資産などの情報についてまとめていきたいと思います。
坂田利夫の死因は?施設で寝たきりだった?
「アホの坂田」の愛称や、「あ~りが~とさ~ん」「あ、よいとせのこらせのよいとせのこらせ」などのおもしろギャグで親しまれていた坂田利夫さん。
所属していた「吉本興業」によると死因は老衰で、親族やお笑いタレントの間寛平(はざまかんぺい)さんとその妻に見守られながら、この世を去ったとのことです。
入居していた高齢者施設は大阪市にあること以外は明かされていません。
坂田利夫さんは2015年4月28日に自宅で転倒し、右大腿骨骨折で入院していました。
普通ならそのまま寝たきりというケースが多いですが、手術を受け、同年5月下旬から歩行器によるリハビリを開始。
6月には杖なしで歩けるまでに回復し、めでたく退院しています。
ご高齢だったにも関わらず、骨折してから約2ヶ月で退院なんて、すごすぎます!
その後もイベントや舞台などに出席し、元気な姿を見せていましたが、身体のことを考え2020年頃に高齢者施設に入居。
そこから、仕事がある日は現場に通うという生活を送っていたそうです。
ネットでは坂田利夫さんについて「寝たきりで認知症になっている」といった噂がささやかれていましたが、2022年までパワフルに働いていたとのこと。
最後の仕事は同年7月30日に大阪市で行われた「さざなみ寄席」の舞台で、若い頃の元気な姿を彷彿とさせるコントを披露したそうです。
亡くなる数週間は寝たきりの状態だったのかもしれません。
しかし、ギリギリまで働いていたことを考えると、寝たきりや認知症という情報はデマだった可能性が高いでしょう。
坂田利夫の結婚相手や子供は?
坂田利夫さんは結婚しておらず、最期まで独身を貫いていました。
過去に結婚していた経歴もないので、子供もいないようです。
そんな坂田利夫さんに吉本興業が「結婚させるプロジェクト」と題した企画を発足したことがあります。
ところが妻となる人物は最後まで現れず、企画倒れに。
この時、当の本人は「結婚できないのではなく、しないのだ」とコメントし、「子供ができたら“アホの子”と指をさされるのが心配だから」と独身でいる理由を説明していたそうです。
また、結婚しない理由には妹さんの存在も関係しているとか。
坂田利夫さんは3人兄弟の長男で、弟と妹の幸せだけを願って生きてきたといいます。
そのため、「妹が結婚するまで自分は結婚しない」と宣言。
その後、妹さんはめでたく結婚しますが、坂田利夫さんは燃え尽き症候群のようになってしまったのか、「自分には何もない」と悟り、結婚を遠ざけていたそうです。
お相手や子供、兄弟の立場を考えた上で結婚しなかったという坂田さん。自分よりも他者のことを優先的に思いやる優しい人だったんですね。
前述した通り、最期を看取ってくれたのは親族と、50年以上にわたって親交のあった後輩の間寛平さんでした。
間寛平さんは坂田利夫さんが施設に入居してからも、10日に1回ほどのペースで頻繁に面会に訪れていたそう。
誕生日には祝われている坂田利夫さんの姿をSNSにアップし、元気に過ごしている様子をファンに伝えていました。
間寛平さんは「早くよくなってほしい」と常に師匠である坂田利夫さんの回復を願っていたそう。
血のつながりはなくても、晩年まで「師匠、師匠」といいながら、その側から離れなかったといいます。
坂田利夫さんが独身ということに対して、孤独などのマイナスな感情を抱いていたのかは分かりません。
もし、悩んでいたとしても、間寛平さんをはじめとする家族以上の存在に見守られながら旅立つことができたことはとっても幸せだったに違いありませんね。
坂田利夫の資産は?
坂田利夫さんの死後、残された資産はどうなるのでしょうか。
調べてみると、配偶者や子供がいない独身の人が亡くなった場合、両親または兄弟姉妹が法定相続人になるそうです。
しかし、坂田利夫さんのご両親はすでに亡くなっているはずなので、弟さんと妹さんに受け継がれる可能性が高いと思われます。
ネット上では坂田利夫さんの資産は1億〜5億はあるのではないかと推測されています。
晩年は高齢者施設に入って生活していたので、かなりの貯金があったはず。
大阪市内の高級マンションを持っているという情報から、最低でも1億はくだらないと思われます。
坂田利夫ってどんな人?
坂田利夫さんの本名は地神利夫(じがみとしお)さん。1964年に会社員を辞め、吉本新喜劇に入団しました。
1967年に同僚の西川きよし(にしかわきよし)さんのアドバイスで漫才に転向。
劇団員の前田五郎(まえだごろう)さんとお笑いコンビ「コメディNo. 1(コメディナンバーワン)」を結成します。
コンビは大ブレイクし、1970年の「第5回上方漫才大賞」や1971年「NHK上方漫才コンテスト最優秀話術賞」などを受賞。
1972年にはコンビでレコード「アホの坂田」を発売し、「坂田」という名前を広く世に知らしめました。
キダ・タローさんが作曲に携わったという同曲。
「アホ~アホ~アホの坂田~」というフレーズが印象的でした。
2002年には当時の衆議院議員だった鈴木宗男(すずきむねお)さんを完コピしたモノマネを披露し、再ブレイク。
2009年にコンビは解散しますが、坂田利夫さんは精力的にタレント活動を続け、新喜劇の舞台やドラマ、映画、CMなどで活躍しています。
坂田利夫の死去にお悔やみの声
坂田利夫さんに芸能界からお悔やみの声が続々と届いています。
メッセンジャー黒田有さん
坂田師匠には、家がご近所の事もあり大変可愛がってもらいました。。。ありがとうございました。。。
メッセンジャー黒田有さんのXより
たむらけんじさん
僕が『ちゃ〜』をやり始めた頃、全くウケなくて、もうするのやめようかなって思ってた時に、坂田師匠が「たむけん、ギャグはやり続ける事やで、やり続けたらいつかウケるからな。」この言葉に勇気をもらってやり続けました。
坂田師匠ありがちゃ〜!
たむらけんじさんのXより
月亭方正さん
おはようさん
月亭方正さんのXより
頑張っとるか〜
頑張れよ〜
ほな行ってきまっさ〜
舞台でドカンドカン笑いをとっておられました
師匠
本当にありがとうございました
ハイヒール・モモコさん
大好きなお父さんみたいな坂田利夫師匠。
お亡くなりになりました。
結婚披露宴では、新婦の父親として一緒に歩いてくれました。
よく似ていると、むっちゃ言われました。楽しい思い出しかありません。安らかにお眠りください。
ハイヒール・モモコさんのインスタグラムより
小川菜摘さん
坂田利夫師匠
ダンディで、お洒落で、優しくて、面白くて、可愛らしい師匠でした。沢山可愛がって頂きました。
寂しいです。ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
小川菜摘さんのインスタグラムより
合掌。
これらのメッセージを読むと、坂田利夫さんがいかに多くの人に愛されていたのかが分かりますね。
今回、紹介したほかにも、『グラビア界の坂田利夫』のキャッチコピーで知られる清水あいりさんや、落語家の桂小枝さん、タレントの東野幸治さんらもお悔やみの声を寄せています。
清水あいりさんは突然の悲しい知らせに戸惑いつつも、「これからもこのキャッチコピーを大切にしていきたい」とコメントしています。
まとめ
今回は、老衰という形で人生を終えられた坂田利夫さんについてまとめてみました。
現在、亡くなったというニュースを受けて、ファンをはじめ各界の著名人から追悼の声が寄せられています。
たくさんの人に愛されてお笑い界をけん引していた坂田利夫さん。ご冥福をお祈りします。
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